『殺し屋ジョー』稽古中

作品や頂いた役は、いろんな人と触れ合ってこそ見つけていけるものだと改めて感じている今日この頃。

自身は、その時その時の100%を目指すけど、いつも完全じゃない。作っては崩し作っては崩しの繰り返し。

己で見つけていくだけでなく、そこに他者を通すことで作品や役への愛が深くなる。

先日の稽古で非常にスリリングな殺陣シーンを渥美博さんにつけて頂きました。

渥美さんは私の文学座、新国の時の先生です。

現場で会える事がとても嬉しく、そこで頂く言葉の鋭さや深さに、自分の弱さを痛感します。

あー。悔しい。

でもここで頂いたエネルギーや言葉が、役を作る源に変わり、次の稽古が待ち遠しくなる。

やってやろうじゃあないかっ!

そんな気持ちになる。

ちょいちょい!どこまでやれるんだ、山﨑薫は!

と、自分自身を試したくなる。

他者から感化される事がもしかしたら生きていく上で最高の栄養で、変身するチャンスなのかもしれない。

だから直に人と向き合う事が人には大切、とかのレベルじゃなく、必要なんだと思う。

自分を更新していく。じゃないと芝居だって面白くならない。

この栄養は共演者からも、他のスタッフの皆さんからも日々頂いている。

むしろゲットしに行く姿勢をもっと大切にしたい。

正直、どうも、難しい。今回いろんなことが。

でもだから死ぬ気でやらなきゃとも思う。

人に関わり合っていこう精神も強い。仕事だから当たり前なんだけども。

戯曲の内容も、人によってはショックが大きいだろうし、下品だろうし、おぇーってなると思う。

でもほんとはそういうところだけを掬って観て欲しいわけじゃないです。

俳優は、そこから見えてくるものや、この戯曲が叫んでる事が何なのかを耳を傾けてもらえるよう工夫する立場。

しんどい。でもすんごいやりがいがある。

わからない。でもすんごくわかりたい。

体得したい。

作家トレーシー・レッツ、強者です。

そして今回は翻訳劇。

翻訳劇って本当に難しいです。魅力的です。

翻訳の吉原豊司先生は、皆さんのやりやすいように工夫して下さいと仰って下さったので、言葉の選択にも注意と敬意を払いながら試行錯誤を繰り返しています。

アメリカでの常識が、日本では非常識だったり、

アメリカで当たり前のジョークが日本では受けなかったり、意味不明だったり。

そんな文化や生き方の違いをどういう風に演劇の力で越えることができるのかはわかりませんが、とにかく探して試しています。

いつも以上に責任を持って向き合ってる気がする今回。(己、いいぞいいぞ)

自分自身、ある覚悟が必要なのです。

自分を信じよう。

↑劇団の皆さんと、スタッフ、共演者の皆さんと共に。

明日も闘う。

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